なんてったって、シングルレース!
一番の道楽は、なんといってもシングルレース!
4ストローク単気筒のオートバイだけで競い合うこのレース。
4スト単気筒なら手軽に?いじれるか、と勘違いしたのが
そもそもの間違いのはじまり!!
いや〜奥が深い! |
そもそものきっかけ
自転車に乗ってた頃から、どうも飛ばすのが好きだったようで16歳になってすぐ原付免許を取得、一週間後に車と衝突!?最初の1年は4回ほどぶつかった(^_^;;;
ちゃんと止まれないとあぶない!ということに気がつき、ブレーキングの練習にはげむ。
その後事故はないものの(単独の転倒は何度か)反則金をだいぶ上納した。
(若気のいたり!?ですね。現在は、もちろん安全運転を心がけ、しかし右手がいうことを聞かず....)
大学時代は、車ONLY、入社後ワルイ先輩にそそのかされて、ふたたびバイクを購入。
「話のタネに」と憧れのサーキットライセンスをとったのがちょうど長女が産まれた頃。このころは、ちょうどレースブームが盛り上がっていて("汚れた英雄"なんて映画が上映されたころ)周りの勢いにオソレをなし、あまりサーキットは走らなかった。
しかし、スピード熱はとどまることを知らず、初代 YAMAHA TZR250を購入して峠通い(ローリング族ってやつでしょうか?)
しかし、仲間とのツーリングは2stではつらく、またこのままいったらいつか死ぬ!と思い、スピードがでず、ゆっくり走ってもストレスのたまらないバイクを、と思って YAMAHA SRX400 を購入('88)
ここまではよかったが「単気筒はカスタム(改造)が楽かもしれない」などと思い込み、シングルショップAAA(スリーエー、当時はモトサロン)に行ったのがそもそもの間違いの始まり!?(佐藤さん、スミマセン)
部品取り用にと600ccの中古を購入、サ−キット走行会があるというのでそれを持っていって走ってみれば以外と速く走れてしまう。
シングルレースにノ−マルクラスがあることを知り、あまりお金をかけずにできそうなので、よせばいいのにまた話のタネにとエントリ−。
練習ができなかったので約8年ぶりにぶっつけ本番で筑波サ−キットを走ったところ、ナント予選6位!(決勝はひたすら抜かれて10位でしたが...1990)
もしかしたら才能が..."と、すっかり勘違いしてドップリ浸ってしまいました。
過去の戦歴
NS−1クラスを皮切りに、2VS、MS−1、CRM−3、MS−2などに出場。
もともと才能がないのか、小心者なのか、速いマシンにはビビッてしまい、乗りこなせず。
現在は、2VS一本。(とか言いながら、いろいろ乗りたがっていたりする)
今まで出場してきた レースのリザルト です。
運命の? '95年7月23日、筑波サーキット
本来、CRM(クラシックレーシングモーターサイクル)クラスに出場する予定だったが、練習中、セッティングミスでピストンに大穴をあけてしまい、急遽HONDA GB250 でMS−2に出場することになった。
レース当日、初めて乗ったマシンにもかかわらず、予選はポールポジションを獲得(初めて!)しかし好事魔多し、決勝レース中に最終コーナー立ち上がりで、転倒。
第2頚椎、左5指中節骨、右脛骨高原骨を骨折。生まれて初めての骨折が、先生からは「よく生きてたネ〜、麻痺がないのが不思議」といわれるほどの、大袈裟なものになってしまいました。
(翌日、病院に行くまで骨を折ったとは思ってなかったんですから、ノンキなもんです。120日ほど入院)
しかし入院直後、バイク雑誌を見ているところを会社の上司にみられて「おまえにつけるクスリはない」とお褒めのことばを賜り?、これでレースをやめたら「やっぱり、危ないからレースなんかやめろ!」とまわりから言われる人(仲間)もでてくるんではないか?とひとりで心配し、「みんなの為にも、やめるわけにはイカン!!」とかたく決意???
いまだ、こんな楽しいこと、やめられません!!
AAAの仲間たち(一部です)
Back